ハイチーズとは(バンドプロフィール)wikipedia

山形大学のバンド「BRAW-BLO」は、NHK BSヤングバトル全国大会2年連続出場('92, '93)等の実績でナラしていたが、メンバーの卒業を期に解散。リーダーでヴォーカルの板橋修は、1994/APRに、地元仙台に戻ることになる。一方、仙台では、板橋の実弟、板橋秀(しげる)BassとGuitarの大沼正寛が、東北大学の「Cherry Blossom」などのバンドで活動をしていた。兄の帰仙にあたり、3人は共に活動することを決意、ここにハイチーズが誕生する(1994年)。

 因にハイチーズという名は、大沼の複数の案から初期のドラマー・小原努が選択し、カタカナ表記を板橋修が提案した。由来は無い。覚えやすいからだけである。小原は1年で脱退、後任には大沼、板橋秀の後輩、高栖紀尚が加入。以来修の力強いヴォーカルを中心に、オリジナル曲の作成とライブ活動に明け暮れる。

 板橋兄弟+大沼+高栖にて98/3月.、1st CD「ベイビーbaby」のレコーディングに入り、仙台のインディーズレーベル「塩RECORDS」より、98/5月にリリース。リリース記念のMACANAでのLiveを最後に、Dr高栖、Bass板橋秀が、方向性の違いにより脱退。その後数ヶ月間、大沼と板橋修の2人のアコースティックユニットとなる。

 98/10月、シルバーベーカリーのbass星雅晴、元ジャムフリークスのDr.リーコを迎え、バンド形態が復活。しかしながら、諸処の問題よりこの2人は脱退。

 98/11月、元チェリーブラッサムLeadVocal、元トルクフルGuitarの成田俊郎がBassにて加入。彼は、ハイチーズができる前、大沼、板橋秀らとやっていた前記Bandチェリーブラッサムにてリーダー的存在であり、かつ、近年においては、ハイチーズメンバーと、釣り、キャンプ、飲み等、交流を深めていた。実はハイチーズの構想自体、このチェリーブラッサムをブラウブロ時代の板橋修が、1992の勾当台公園夕涼みコンサートで見たときに、「こういう音楽をやりたい」と感じたことより始まっていたのだ。
 同月、板橋修と成田俊郎は仙台市内のクラブ「スコール」に、かねてから目を付けていた、当時「ニャンチュウ」「ハレンチV」のDrums、
寺澤敬博をスカウトしに出向く。この日「ニャンチュウ」で出演中の寺澤に「ハイチーズでやってみないか」とラブコール。寺澤は、思っていたよりも簡単にOKの返事を出した。ふと、通りかかると、浅野は毛布にくるまり泣いていた。朝が来るのが待ち遠しかった。朝日を浴びていた。マン○を舐めていたのかもしれない。加入した。ハイチーズの朝が、また来た。一緒に楽しもう。(1999/JUN, key浅野加入)

 リズム隊の強化、そして成田のボーカルを生かすために新ベーシストの加入を考える。寺澤の強い推薦により「かなぶん」等でプレイしている森木啓太を誘う。ひとつ返事でオッケー。ハイチーズに入れば絶対にもてるぞ!の、甘い一言が効いたかどうかは定かではないが、まんざらでもなかったのであろうと推測する。これで、成田が、さらにソングライト+ボーカルに専念する環境が整う。(1999/NOV, B森木加入)

 成田俊郎、浅野浩康が東京へ行くために脱退。彼らは、あっちでも、きっといい音楽を作っていってくれると信じてます。頑張って下さい。これにより、ハイチーズは、4人編成になる。(2000/MAR G成田、Key浅野、脱退)

6人時代にレコーディングを終えていた2ndアルバム「だから」をリリース(2000/MAR)

夏のアルバムと称し、3rdアルバム「V3」をリリース(2000/AUG) 

寺澤(Dr.)と大沼(G.)、方向性の違いにより脱退。ドラムスに元ワイルドアラウンドシャッフルの村田宗を迎え、ハイチーズはトリオ編成に。(2001/APR、板橋、村田、森木)

2002/3月にmusic alive 飛んで80年代という80's洋楽カバーイベントにハイチーズが出演。その際、サポートメンバーとしてGを担当した鈴木貴氏と出会う。その後の様々な飲み会で熱く音楽を語る鈴木と意気投合し正式メンバーとなる。(2002/MAR G鈴木加入)

2002/6月 4thアルバム「心は心」をリリース

2003/5月にG鈴木脱退

2004/3月頃?B森木脱退

2004/7月にB星加入

2005/2月にB星脱退

2010/4月 Dr村田脱退

 ハイチーズの音楽とはまさに、「キャッチーでブルージーな日本語のRock'n Roll」である。基本的には修の詞の世界そのものであり、少しダサくて単純で愛らしい、でもカッコ良くありたい男の赤裸々な本音を単純なフレーズに込め、ジャリーンと響くスクイーズサウンドにのせて歌い上げる。その内容は、一聴しただけでは派手さに欠けるかもしれないが、何度聞いても飽きない説得力がある。それは、詞(し)〜詞心(うたごころ)〜歌(メロディ)〜楽曲(サウンド)が、徹底して一つの雰囲気を持っているからであって、そういう意味では一つの集大成といっても過言では無かろう。

 彼等をインテリバンドと称する人々がいるのは、彼等が大学や大学院まで出ているからであり、頭の固い人にはロックと大学が未だに結びつかないようである。しかし、体制というものが崩壊し信頼を失い、それゆえ反体制というものがあまりにも軽薄で、無理に派手に着飾ってVisualに走るのも無意味だというこの時代に、いかに自分に嘘をつかずに、好きなことを貫いていくか。特に業界に媚びることもせず、内向もしていない彼等の態度は、潔く貴重であるとは言えまいか。